【演奏会レポ】ベンジャミン・フリス ピアノ・リサイタル

 イギリスのピアノ奏者ベンジャミン・フリスが京都・福知山でオール・ベートーヴェン・プログラムによるリサイタルを開くというので足を運んできました。ホテルの一室が会場と知り「宴会場でピアノかあ……音響が心配だなあ……」と思ったのですが、主催者による演奏会前のレクチャーによるとその会場、あの永田音響設計が関わってるということで「ひぇ~~」となったわけで……。最近は某ハンブルクのホールで賛否両論巻き起こってる永田音響ですが、それでもコンサートホール設計で高名な一大ブランドであることは間違いないわけでして、そんな施設が福知山にあったことに(マジで)驚きました。

 主催者の説明はさらに続き、今回のコンサートで用いるピアノの由来についても(情熱をもって)語っておられました。曰く、このベヒシュタインは同社最盛期の20世紀前半のものであること、そのころベヒシュタインは工房で50年寝かせた木材を使用していたこと、第二次大戦後それらヴィンテージ木材は(戦勝国の)某S社のものとなったこと、などなど……。そして目の前のベヒシュタインがまだオークションで入手して間もないため、最高のコンディションでないこと(そしてピアノの状態を尊重して敢えて「追い込んで」いないこと)を、申し訳なさそうに述べておられました。

 そんな事前説明の刷り込みのせいかもしれませんが、1曲目の「創作主題による32の変奏曲」(WoO.80)では各鍵盤の響きに若干の「ムラ」が感じられたような気がしました。でもフリスは、音楽表現者としてのレベルの高さを同曲(とくに後半部)で遺憾なく発揮していました。この作品、私はマレイ・ペライアの演奏で刷り込まれてるのですが、ベートーヴェン的な「強固さ」はフリスの方が上回っているように感じられました。もちろんそれは破綻のない技術の裏付けあってのことなのですが。2曲目の「6つのバガテル 作品126」は後期の弦楽カルテット集にも通じる「ムダのなさ」に個人的にすごく惹かれる作品ですが、楽譜に対し忠実でありつつ、それを音楽表現の高みへとスムーズにもっていけるフリスには感服することしきりでした。

 短い休憩をはさんで「ディアベッリ変奏曲」。フリスの演奏は相変わらず盤石。そしてここにきて楽器が響いてきて安定感と落ち着きが出てきました。こうなると鬼に金棒。完全にベートーヴェンによる約一時間の音の旅に酔いしれました。それにしてもこの変奏曲は「ハンマークラヴィーア」のフーガとかカルテットの「大フーガ」と同様、奇想天外な作品ですね。最初の凡庸な(これは会場で配られたパンフレットにも書いてありました)主題から、どうしてここまで音楽を拡大することができたのか。そして最初っからすごく遠いところまで行ったな…と思ったところで突然冒頭のハ長調に戻るところが、まさにベートーヴェン。面白い曲ですわ。

 アンコールのころには楽器もより好ましい状態になったのか、響きもより美しくなってきました。フリスはバッハを1曲(おそらくフランス組曲の何かを全曲弾いたのかな…)、そのあとベートーヴェンソナタから2つの楽章を弾きました。とくに最後の「作品28」第2楽章は、飾りのない音楽の美しさがとても感動的でしたね。

 そしてヴィンテージのベヒシュタイン。弾けば弾くほどいろんな「いい音」が出てきたので、これからもっと弾きこんでいったら一体どうなっていくんだろう……と今後が楽しみになってきました。また聴ける機会があれば是非、と思います。

<Program Note>

Benjamin Frith piano recital

Venue: Ogi Hall in Fukuchiyama Sun Hotel, Fukuchiyama, Kyoto

Date: 29 June 2019

1. Beethoven: 32 Variations in C minor, WoO80

2. Beethoven: 6 Bagatelles, Op.126

3. Beethoven: The 33 Variations on a waltz by Anton Diabelli in C major, Op.120

(encore)

1. Bach: French Suite No.2 in C minor BWV 813

2. Beethoven: Piano Sonata No.11 in B flat Major Op.22 - 3.Mov. Menuet

3. Beethoven: Piano Sonata No.15 in D Major Op.28 - 2.Mov. Andante

 

「BBCヤング・ミュージシャン」を受賞した12歳の少年は今

 昔の拙ブログを眺めていたら、こんな記事を見つけました↓

 

okaka1968.cocolog-nifty.com

 この記事で紹介したトロンボーン奏者、ピーター・ムーア (Peter Moore) は今どうしているのか……と思い検索したら、今はロンドン交響楽団の副首席奏者を務めてるんですね。ヤマハのインタビュー動画によると、キャリアの初期から楽器はヤマハだったみたいです。

 


ピーター・ムーア インタビュー ~私とヤマハ~

最近の彼の演奏。2017年、ウィグモア・ホールでのライブ動画。シューマン「幻想小品集」作品83。


Peter Moore James Baillieu - Schumann, Fantasiestücke Op. 83!

うますぎて笑ってしまうくらい上手い!

最後に、ピーター・ムーア12歳のときの演奏を。


Peter Moore plays Sang Till Lotta

 

【再掲&一部改変】指揮者ノイマンの言葉

 サッカー男子元日本代表監督イビチャ・オシムの評伝「オシムの言葉」(著者:木村元彦)。 そこには旧ユーゴスラビアを代表する指揮官である彼の含蓄ある発言の数々が収録されています。 

オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える

オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える

 

 これらのいわゆる「オシム語録」は彼のサッカーを懐かしむサッカーオタクにとってキリスト教福音書のような存在となっているわけですが、私は彼の言葉の中に冷戦時代をくぐり抜けた東欧人特有の「体臭」を強く感じます。例えば「人気語録ランキング」で間違いなくベスト3に入るであろう「レーニンは『勉強して、勉強して、勉強しろ』と言った。私は、選手に『走って、走って、走れ』と言っている」という発言は、第2次大戦後の東欧で教育を受けた人でなければ出てこないでしょう。この一言に限らず、彼の談話にはユーモアが伴っていますが、そのユーモアを理解するには一定の知性が要求されます。そのような理知的な笑いは、旧ソ連アネクドートの数々と共通するものです。さて音楽界はどうでしょうか。ここで私が紹介するのはチェコの指揮者、ヴァーツラフ・ノイマン(1920-1995)の言葉です。

スメタナ:わが祖国

スメタナ:わが祖国

 


Dvořák: Symphony No.9 "From the New World" / Neumann Czech Philharmonic Orchestra (1993 Movie Live)

 

  ノイマンが手兵のチェコ・フィルと共に日本で演奏旅行をしていた1982年11月10日に、旧ソ連のブレジネフ書記長(当時)が死去しました。当時共産主義国家だったチェコスロバキアの政府関係者から「共産党のドン」への弔意を表すよう命じられたノイマンは、リハーサルを始める前にスピーチを始めました。「皆さんご起立をお願いします。労働階級の英雄にしてソビエト連邦書記長のブレジネフのために祈りましょう。我々はチェコ音楽に多大な貢献をされた偉大なる人物に対して敬意を表します」。そう言った後ノイマンは間髪入れずにこう言いました。「どうぞご着席下さい。彼はチェコ音楽に大した貢献をしていませんから」。これはジョークではなく実話です。しかしどこかアネクドート的で、風刺の利いたエピソードですね。
 この話の元ネタはノーマン・レブレヒト氏のコラム。

www.scena.org

 ノイマンの後にチェコ・フィルの音楽監督を務めたイルジー・ビエロフラーヴェクの証言でした。

 オリジナル (2006年7月8日)

【演奏会レポ】マキシム・パスカル&レ・シエクル

f:id:radio_classic_timetable:20190317153748j:plain 「来た、見た、勝った」(Veni, vidi, vici)というカエサルの有名な手紙がありますが、2019年3月2日、香港文化中心でのパスカル&レ・シエクルの演奏会を評するなら「すご」の2文字を入れて「来た、見た、すごかった」、いや「すごかった」だけでは足りない。もっと巨大で強烈で、心に深く強いインパクトを残す体験でした。

 前半の「幻想交響曲」。第1楽章は中低弦の鼓動に誘われ高揚へと至る音楽の躍動を味わい、第2楽章では夢見がちで竜巻のように終わるワルツ、第3楽章では心象風景的な世界を楽しみました。ここまで実に素晴らしい。だがこの日はここからが問題。。。実演や録音でこの曲をよく知るファンなら「4楽章5楽章はクレイジーな世界を描いている」ことは知っている、でも実際にクレイジーな演奏に接する機会はめったにないわけです。そのレアな機会に、、、当たってしまいました。第4楽章の後半、Vnの「sulG」(G線で弾きなさい、の意)と楽譜に書かれた辺りからギアが入りテンポアップ!得体の知れぬ何かに追われたかのごとく疾走するも足がもつれ絡まって転がる……こんな風に音で感じたのは初めてです。なんという表現力!そしてフィナーレはそれはもう悪魔な世界、パスカルも古典的指揮法を放棄し黒魔術の踊りのように両手を上げたり下げたり身をくねらせたりしてました。そして音楽も指揮姿にシンクロするようにキテレツ、まさに「音楽的異形」。アンサンブルとか各声部のバランスとか、そんなことじゃなくて音楽の破天荒っ振りをこれでもか!と押し出した鬼のようなパフォーマンス。参りました。

 さて普段の演奏会なら「幻想」はメインプロなので、ここで終了、ああ良かったね……で終わるのですが、この日のプログラム、まだ後半に「レリオ」があります。前半の「幻想」で満足して帰った人も少なくなかったようで、私の左隣に座ってた人たちは居なくなり、空席がズラリ並んでました。そんな中始まった「レリオ」は一人芝居のようなフランス語の語りと、そこに挿入されるベルリオーズの音楽、という構成。シェイクスピアを肴に芸術と愛について熱く語る役者ダニエル・メスギシュ(この方はインバル指揮のDENON盤「レリオ」でも語りを務めてました)は雄弁そのものでしたが、付随音楽も雄弁。どこを取っても音が生きていて肉感的で劇的要素に満ちており、語りと音楽の相乗効果、今風にいうならケミストリーが起きてました。ここで指揮者マキシム・パスカルが、作品の構造・特性や状況に合わせ、様々なパターンの音楽作りができる確かな腕の持ち主であることにハタと気付きました。クレイジーな曲はクレイジーに、キチッと構成していく必要がある時は確実に音楽を作っていく、そんな芸の幅広さを持った指揮者だな、と。

 思えば香港から一週間前、パスカル東京二期会公演「金閣寺」(黛敏郎作曲、宮本亜門演出)で上野のピットに入り指揮者を務めていました。このとき私は客席に居ましたが、ピットから放たれる鮮烈な音楽は、黛敏郎のスコアの偉大さを再確認するに充分なクオリティでした。つまり日本と香港の7日間、「有名な曲」「有名でない曲」「20世紀&現代作品」のどれを振っても高水準のパフォーマンスだったわけです。これは有能すぎます。このあとのパスカルのスケジュールをネットで調べると、リームの「ヤコブ・レンツ」、ドビュッシーペレアスとメリザンド」(ベルリン国立歌劇場)、シュトックハウゼン「光」から「木曜日」、と骨のあるプログラムが並んでいます。今後この手のレパートリーを聴こうとしたとき、遭遇する確率の高い指揮者になりそうですね。でも楽しみです。

(Program Note)
47th Hong Kong Arts Festival - Les Siècles
Date: March 2, 2019
Venue: Hong Kong Cultural Centre, Concert Hall
1. Berlioz: Symphonie Fantastique, Op 14
2. Berlioz: Lélio, Op 14b
Conductor: Maxime Pascal
Tenor: Michael Smallwood
Baritone: René Ramos Premier
Narrator: Daniel Mesguich
Chorus: Die Konzertisten

香港のトラム

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 香港のトラムに乗って香港島を移動してみた。乗り始めは解放された窓からの風を感じて心地よかったけど、けっこう揺れがキツくて酔いそうになった。地元の方はトラム、MRT、バスを使い分けていた印象。

【演奏会レポ】ライプチヒ歌劇場「タンホイザー」

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 ライプチヒ歌劇場公演「タンホイザー」を観に香港まで行ってきました。カリスト・ビエイト演出の舞台をいつか見たい、という長年の宿願を叶えるためです。思えばバルサのユニを着たドン・ジョヴァンニをビデオで観てから13年経ったんですね……。

 元々ライプチヒ歌劇場はカタリーナ・ワーグナーに演出を依頼していましたが、最終的に去年の現地公演で使用されたのは、フランダース・オペラやフェニーチェ歌劇場(ヴェネツィア)らとの共同プロダクションのために用意されたビエイト版でした。もしかしたら今回の香港公演もカタリーナ版だった可能性もあったわけですが、結果的にビエイト演出を日本に近い場所で見られることになりラッキーでした。ちなみに今回の上演は「タンホイザー」の香港初演だということです。

 さてビエイトの仕事ですから当然「読み替え」演出になるわけで、彼の「タンホイザー」は「エロスとアガペーとの間で葛藤する主人公」を表現するものではありません。それを象徴的に示しているのがエリーザベト(エリザベート・ストリード)。彼女の舞台での振る舞いはやや落ち着きがなく、第2幕でタンホイザーが脱ぎ捨てた男モノのズボンを履いたりするなど「不思議キャラ」です。第3幕での彼女は正気を失っている設定らしく、泥だか何だか地面にあるものを食べようとする異食行為をしています。彼女は認知症になったのか?!。ともあれ演技的には敬虔なキリスト教徒たる要素は乏しいです。一方ヴェーヌス(カトリン・ゲーリング)はひたすら美しい。序曲の間、天井から吊されゆっくり回旋し続ける草木に絡まったり床に転がったりしながら清新な色気を振りまきます。ここはアイドルのイメージDVDにありがちなシーンだったなあ……。

 男性陣はどう扱われたか。タンホイザー(シュテファン・ヴィンケ)の出番で印象的だったのは第2幕の歌合戦の場。そこでヴィーナス賛歌を歌ったタンホイザーは周囲から袋だたきにあうのですが……。そのシーン、サウナのとき体を叩く道具みたいなヤツでみんなバンバン一斉に床を叩くのです。演出そのものよりその「音」が耳に残りました。さてコレをどう捉えたらよいものか……。会場パンフレットに掲載されていたビエイトのインタビューによれば、今回の「タンホイザー」の演出では「私たちの生きている現代社会とは何か?」を問いかけているとのことで、その文脈でいえばあの「音」は「現代社会のトラウマ」を音で表現したものかもしれません。騎士仲間のヴォルフラム(マルクス・アイヒェ。第3幕では歌唱を代役が担当)は一言で言えば「悪い友達」でしたね。タンホイザーとの第1幕での絡みは友好的なものではありませんし、第2幕ではエリーザベトへの思いも隠そうとしませんでした。第3幕で変わり果てたエリーザベトを、首を絞めて殺そうとします。第3幕はタンホイザーも茫洋としながら佇んでいます(これはオリジナルとそんなに変わらないか)。そして狂女となったエリーザベト。三者三様の「狂気」の世界が展開されていたわけです。

 が、舞台が終盤にさしかかると、ワーグナーの書いた音楽となんか乖離しちゃった印象を抱いたのも確かです。誰も救われないし救わない。救済のない幕切れ。そんな中で魂の勝利ともいうべき壮大な音楽が鳴り響いているのです。この視覚と聴覚のミスマッチ!……。ヴェーヌスがスポットライトを浴びたかと思うとやにわに暗転し幕。そのときすごく心が落ち着かず、ザワザワしました。

 音楽的にはとても素晴らしい公演でした。題名役のヴィンケの声はとても性格的で、今回の演出には相応しかったですし、ヴォルフラム役のアイヒェもいい声でした。健康上の理由で第3幕の歌唱が代役になったのが残念でした。そしてこの日の歌唱でとりわけ優れていたのはエリーザベト役のストリード。明るい輝きと強い張りのある声。まさにエリーザベトらしい歌唱でした。ウルフ・シルマー指揮のゲヴァントハウス管、そしてライプチヒ歌劇場合唱団の音楽作りは重厚というよりはややスタイリッシュな印象でしたが、それでもワーグナーの音楽世界を見事に表現していました。今回の舞台では登場しなかった第3幕の巡礼者たちが、目を瞑り音楽に耳を傾けていると「そこに確かに巡礼者が歩いている!絶対に居る!」という気にさせてくれました。

(Program Note)

47th Hong Kong Arts Festival - Oper Leipzig 

Richard Wagner: Tannhäuser

Venue: Grand Theatre, Hong Kong Cultural Centre

Date: March 1, 2019

Tannhäuser: Stefan Vinke

Venus: Kathrin Göring

Wolfram vom Eschebach: Markus Eiche 

Elisabeth: Elisabet Strid

Ein junger Hirt: Bianca Tognocchi

Landgrave Hermann: Ante Jerkunica

Walther von der Vogelweide: Patrick Vogel

Heinrich der Schreiber: Kyungho Kim

Reinmar von Zweter: Sejong Chang

Gewandhausorchester Leipzig

Chor der Oper Leipzig

Conductor: Ulf Schirmer

Director: Calixto Bieito

 

↓↓↓(参考)ライプチヒ歌劇場「タンホイザー」トレイラー↓↓↓


»TANNHÄUSER« / OPER LEIPZIG