
アントネッロのヘンデルといえば、2年前サントリーホールでの天覧歌劇「リナルド」の記憶も新しいところ。笑いの要素を織り交ぜながら、高い技術を持った歌手たちと奏者たちが生み出す、血の通ったドラマを大いに楽しませてもらった。メロディはいいんだけど台本が…アリアもダ・カーポで反復が多くて間延びしがち…という弱点を抱えるバロック・オペラを現代舞台に上げるときの最適解のひとつをアントネッロの舞台は示しているのではないか。あ、今回はオペラでなくオラトリオですが、当日会場で販売されていたプログラムにも書かれているように、オペラ禁止令が発令されていた作曲当時のローマでは、代替的にオラトリオが盛んに作曲され演奏されていたという時代背景がある。「時と悟りの勝利」自体、装置付演出付で舞台上演されることもあるので今回の舞台は無問題。「リナルド」で芸達者ぶりを発揮していた歌手四人は今回も出演する。ということでぶっちゃけ笑わせてもらいに東京・晴海まで来た、といって過言ではないし、今回も爆笑させてもらった。アントネッロの舞台には欠かせない小道具(今回は「魔法のスティック」)も効果的だったし、第一部からの休憩前にいきなり始まった漫才チックなトーク・シーンに会場はどっと沸いた。そんな小芝居を見せられても全然違和感がないのがアントネッロの舞台の恐ろしいところなのだが、そんな笑い要素以上に今回感じたのが、濱田芳通のヘンデルならびに当時の音楽への精通ぶりである。今回「時と~」以外のヘンデル作品の幾つかが挿入され、さらには初演当時のコンサートマスターだったコレッリ(!)にちなんでか、彼のコンチェルトなどからもすこし借用していたという。私の驚きは、それらが継ぎはぎのパッチではなくドラマの流れを損なわない範囲で「活用」されていた点にある。正直どこまでがオリジナルでどこが借用だったのか解らないところだらけだったけど、それを感じさせないほどシームレス。そのあたりの絶妙なところを突いてくるところに、濱田芳通の音楽家としての「技」を感じた。あとプログラムに明記されていた以外で、わたしの大好きなヘンデルのリコーダー・ソナタ(HWV360)の一節が聞こえてきたんですが、これは元々原曲にあるんでしょうか。
この日の「時と悟りの勝利」を楽しみながら、個人的には過去の音楽体験に関連する、2つの音楽的「繋がり」を感じた。1つは、2年前の「リナルド」で聴いたアリア「私を泣かせてください」が「時と~」でも重要な場面で歌われたこと。これは順序が逆というか、「時と~」のアリア「Lascia la spina(棘が付いたまま)」の旋律をヘンデルがのちに別作品に転用したわけですが、「リナルド」で囚われの身のアルミレーナが主人公への思いを込めた歌と、「時と~」でベレッツァ(「美」)の心が自分から離れようとするのを諭すピアチェーレ(「快楽」)の歌、その2つが見事に脳内で重なったのだ。弥勒忠史さん、見事でした。
もうひとつ感じた「繋がり」。これはホントに個人的なものなのだがアーノンクールとウィーン・コンツェントゥス・ムジクスが2006年の来日公演でヘンデルの「メサイア」を演奏したことがあって(さらりと書いているけど、今から考えるとすごい出来事ですね…)、そのときのアーノンクールの解釈があまりに劇的過ぎて、ノイズを恐れない激しい弦のサウンドなど「なんもそこまでやらんでも…」と逆にひいてしまったのだ。当時の自分は主の復活を祝う厳かさを作品解釈に求めていたのだと思う。あれから20年。昨日の濱田芳通とアントネッロのヘンデルは、あのときのアーノンクールに比肩する、いやそれ以上にパッショネート(情熱的)でアグレッシブであったが、古楽器運動の先駆者アーノンクールのアグレッシブな精神、その表れが20年前の「メサイア」だったのだ、と今やっと悟った。そう、わたしも「悟り」を得たのです。
<Program Note>
Date: 13 June 2026
Venue: Dai-ichi Seimei Hall, Harumi, Chuo, Tokyo
Georg Friedrich Händel: Il Trionfo del Tiempo e del Disinganno, HWV 46a
Bellezza: Miki Nakayama
Piacere: Tadashi Miroku
Tempo: Katsuhiko Nakashima
Disinganno: Toshiharu Nakajima
Orchestra: Anthonello
Conductor and recorder: Yoshimichi Hamada