東響春祭 歌曲シリーズ vol.43 クリスティアン・ゲルハーヘル&ゲロルト・フーバー
歌曲を聴く喜びとは…。歌手の声自体を楽しむ喜びもあるけど、歌詞に込められた風景だったり描写だったりを想像しながら楽しむ喜びもある。この日はロベルト・シューマンのドイツ語歌曲のみで構成された、純度100%のリーダー・アーベント。ドイツ歌曲で描かれる自然描写は、いつも私の想像力を掻き立てられる。森、花、鳥、風、太陽、雲…。そんなキーワードから感じられる、百年以上昔にドイツにあった自然を、日本にいながら思い起こし感興にひたっていた。
そして歌詞に寄り添う自然で無理のないロベルト・シューマンの音楽が素晴らしい、と改めて思った。シューマンは交響曲に大規模な合唱作品まで手掛けた、作曲界の百貨店的存在だが、わたしは歌曲が一番好きだ。彼の歌曲は音楽的だけど、そのメロディは詩の世界と干渉せずむしろ共鳴していて、文学的でもある。
この日のゲルハーヘルの歌唱はコンディションも良好で、彼と共演者フーバーによって人間的な様々な情感が吹き込まれた音楽が、聴き手を魅了する。彼らは風か鞴(ふいご)の如くに音楽という火に勢いを与え、それによって活力を得た芸術的「炎」が聴衆たちの心を温かく照らしていった。
アンコール3曲のうち、最後に演奏されたのは「二人の擲弾兵」作品49-1だったことも書き漏らしてはならない。ロシアから帰還するフランス兵たちの思いが「ラ・マルセイエーズ」の旋律に乗せて歌われる。これを2025年3月22日のいまこの時、どう捉えるか。宿題を与えられた塾生のような気持ちで帰路に就いた。
Program Note;
Date: March 22, 2025
Venue: Tokyo Bunka Kaikan Recital Hall
1. Robert Schumann: Sechs Gesänge, op.107
2. Robert Schumann: Zwölf Gedichte von Justinus Kerner, op.35
3. Robert Schumann: Drei Gedichte aus den Waldliedern von Gustav Pfarrius, op.119
4. Robert Schumann: Drei Gedichte von Emanuel Geibel, op.30
5. Robert Schumann: Sechs Gesänge von Wilfried von der Neun, op.89
6. Robert Schumann: Lieder und Gesänge IV, op.96
(Encore)
7. Robert Schumann: Venetianische Lieder Nr.1, op.25-17
8. Robert Schumann: Aus den östlichen Rosen, op.25-25
9. Robert Schumann: Die beiden Grenadiere, op.49-1
Bariton: Christian Gerhaher
Piano: Gerold Huber
京都市交響楽団 第698回定期演奏会
産休を終えて指揮者としての活動を再開した沖澤のどか(誠に遅ればせながらではありますが、おめでとうございます!)が、現在常任指揮者を務める京都市交響楽団とリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」を演奏することは「必須科目」である、とコンサート前のプレトークで語った。それをどう解釈するか。
「英雄の生涯」に対して私が抱く感情は実にネガティブ。リヒャルト・シュトラウスが自らを「英雄」と名乗った、美しい伴侶を得た作曲家はなにかとケチをつける批評家との偉大なる戦いに勝利し、その業績を回顧しながら輝かしい人生を閉じる。これは若い頃の私が過去の日本の批評家たちによって刷り込まれた悪しきイメージに他ならないのだが、そんな印象を見事なまでに体現したのがヘルベルト・フォン・カラヤンとベルリン・フィルによる英雄の「偉大さ」、男性的な「猛々しさ」を前面に押し出した演奏であった(※個人的には1974年録音のEMI盤を想定しておりますが、1959年録音のDG盤でも可)。この曲の主人公に狂おしいまでにフォーカスし尽くした演奏、指揮者の個性(もしくは偏見?)と見事にシンクロしているかの如く主人公たる「英雄」の男性的な魅力にフォーカスしている。
一方2025年3月14日に京都コンサートホールで展開された「英雄の生涯」はどうだったか。この演奏における英雄もといヒロインは、コンサートマスターの会田莉凡であった。彼女の「英雄の伴侶」ソロパートでの存在感の高さは実に傑出していた。その気品にあふれ、かつ説得力のある演奏に対し、低弦パートが未だかつて聴いたことがないような次元での繊細なニュアンスで呼応していた様は、曲の出だしではじつに青臭さ満載だった「英雄」に対し何等かの人間的な成長を促す「意思」や、人生を渡り歩く「教示」を提示する女神のようであった。そして曲の終結部においても会田さんのソロは、その安らかな響きで曲を大団円へと導く水先案内人役として主導権を握っていた。
「英雄の生涯」は、ヴァイオリンソロが曲の性格を決定づける誠に恐ろしい作品なのだが、この日の演奏で私たちに提示された解釈は、20世紀的な「雄々しさ」とは違うかたち、「ヒロインによって導かれるヒューマニズム」をテーマにすることを最高な形で提示したことをポジティブに受け止めた。あとその他のパートにおいても、沖澤さん率いる京響のオケの統率力は見事なものであった。強奏部においても楽譜に潜む重要な音の提示が手際よくて鮮やか。それがリヒャルト・シュトラウスの音楽のもつ「豊かさ」を如実に表していた。
陳銀淑の「Subito con forza」は、最初の「コリオラン序曲」を想起させる冒頭部から、さまざまな音の重なりがなかなかスパイシーであった。ただこの4,5分で終わる小品が終わって、配置転換に数分を要したことで少し間延びした印象を与えた。出来れば「英雄の~」と編成が似通った作品にして曲間を短くしてほしかった。
Program Note;
Date: March 14, 2025
Venue: Kyoto Concert Hall
1. Unsuk Chin: Subito con forza
2. Richard Strauss: Ein Heldenleben.
Conductor: Nodoka Okisawa
Kyoto Symphony Orchestra
愛知室内オーケストラ 第59回定期演奏会
プログラムが発表されたときからとても楽しみにしていた演奏会。それはひとえに(若手ヴァイオリニストとして以前から注目している)「石上真由子さんがアルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲を弾く」という好機を逃してはならない、という強い思いなのであったが、その演奏への期待は想定を遥かに超える音楽的充実感でもって叶えられた。それは作品の持つヘヴィーなテーマ、ヘヴィーな音楽世界を一手に背負う責任を担い、それを完遂したソリストの勝利でもあり、彼女とともに作品の世界を構築し、それを完全に近い形で達成した愛知室内オーケストラ、そして統率した指揮者である小林資典さんの勝利でもあった。更に言えば、第1楽章11小節目以降のコントラバスの重要なソロ(席次表によると池松宏さんが担当)が、曲のリチュアルな性格を如実に表現していたことで、この日の演奏が勝利に終わることを予感できた。セリーだったりコラージュだったり舞曲だったり、走馬燈のように登場しては消える幾多のモティーフが丁寧かつ対等に扱われ、それによってアルバン・ベルクの音楽が流れを損なうことなく表現されていた、という事実が素晴らしかった。音は触ることができないものだけど、そのことが手に取るようにわかった。これはとても貴重な体験であった。
この体験はベルク作品以外でも同様であった。シェーンベルクのワルツ集は「こんな作品があったのか!」というサプライズであった(ヴィオラの加納明美さんGJ!)し、休憩後のシューベルトとモーツァルトの2曲も、音楽自体の持つ性格を十分に表現していた。これは小林さん率いるオーケストラ団員一同の水準の高さ故であろう。愛知室内管は先月、日本オーケストラ連盟の準会員となった、とのことで今後の活動に期待したいところであります。
Program Note;
Date: July 1, 2023
Venue: Shirakawa Hall, Nagoya
1. Schönberg: Walzer für Streichorchester
2. Berg: Violinkonzert
3. Schubert: Overture im Italienischen Stile D.590
4. Mozart: Sinfonie D-Dur Köchelverzeichnis 385 „Haffner-Sinfonie“
Violin: Mayuko Ishigami
Conductor: Motonori Kobayashi
Aichi Chamber Orchestra
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クラウス・マケラ指揮パリ管弦楽団
クラウス・マケラは26歳にしてオスロ・フィルとパリ管弦楽団の要職に就き、更には世界最高のオーケストラの一つ、オランダの王立コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者となることが予定され…などの能書きはともかく、この日眼前に現れたマケラの、神々しいまでの圧倒的存在感は何なのだ。まずステージ上の立ち居振る舞い。曲を始める前に肩幅くらいに開脚して指揮台上で構える、あのポーズからして五輪代表の体操選手のように美しい。その後の指揮台上の動きも流麗で、舞踊的ともいいたくなる。その華麗さを象徴していたのはプログラム後半「春の祭典」第1部。「大地の踊り」の喧騒からの突然の静寂。そのときマケラは右腕を高く挙げ、手にしていた指揮棒は高く天を指していた。え!?なんかロックスターみたい!あんたフレディ・マーキュリーかよ!それともマイケル・ジャクソンですか!? こんな姿を、クラシック音楽のコンサートで見せつけられるとは思いもしなかった。
そんなクラウス・マケラの指揮者としての仕事はどうだったか。この日のプログラムは20世紀前半のフランス音楽が並んだ、まさに「100年前のパリのコンサートホールでどんな音楽が鳴っていたか」的なものであったが、指揮者とパリ管弦楽団はその時代の特徴を見事に描き、表現していた。最初の曲であるドビュッシー「海」を特徴づける音楽的明暗の表現、「闇」から「光」、そして逆に「光」から「闇」へと移ろう音楽の、その明暗のコントラストは出色であった(マケラが来日中に撮影し、SNSで公開した画像を想起させた)し、それ以降の楽曲(ラヴェル「ボレロ」とストラヴィンスキー「春の祭典」)においても大編成での楽器の音が混ざり合う、その色彩の妙を愉しむことができた。
だが、マケラの指揮者としての特徴は、別のところにあるように感じられた。ひとつは各パートの奏でる音、そのひとつひとつがどれも明瞭に耳に届くし、そしてどの音にも音楽的意味が感じられたこと。一音一音がとても丁寧で、なんらかのニュアンスが込められたり、一ひねりが加えられたりしているのだ。まるで一手ずつ慎重に駒を指していく棋士のように、熟考を重ねながら音が繰り出されていく。結果として重々しいサウンドにはならないのだが、その慎重な音楽作りが実に若手らしくないというか、ベテランでもここまで丁寧にやらないだろうなあ、というくらいのレベル。
もうひとつ。マケラはスコアに書かれた音の数々を実に形よくデザインし、立体的な交響楽に仕立てる能力に秀でているように感じた。作曲家の脳内の設計図を楽譜にしたスコアがそのまま音になり、さらにそれが美しいフォルムとして造形されている。これはまさに優秀なデザイナーの手によって生み出された工業デザインのごとき世界観だ。
以上二つの特性が一番発揮されていたのは「ボレロ」。おなじメロディーが何の変形もなく最後まで続いていく作品。代わりに変化するのは音色(=楽器)、そしてダイナミックス。なのだが、そのなかでもマケラはサキソフォーンだったりトロンボーンだったり、各シーンでちょっとずつニュアンスを変えていき、結果として音楽表現の「幅」に広がりを与えていた。一方楽曲のフォルムという点においては、スネアドラムと同じリズムを刻む楽器が、とても適切かつクリアで、かつ「いい音」で聴こえてきた(とくにファゴットとホルンが吹いていた場面)。これにより「ボレロ」の曲の構造が明確となり、音楽的造形美が生み出されていた。
ドビュッシーの「海」に話を戻す。第3楽章後半のクライマックスで、いろんな音が束になって押し寄せてくる、その瞬間のとても輝かしい響きを耳にし、なぜか「ああ、彼がいればクラシック音楽もあと数十年は滅びることなく生き残るかもしれないな…」と思ってしまい、そして泣けてきた。まさかこの曲で…と思いつつ、人生も第4コーナーに差し掛かると、そんなこともあるかもな。。。
Program Note;
Date: October 23, 2022
Venue: The Festival Hall, Osaka
1. Debussy: La Mer
2. Ravel: Boléro
3. Stravinsky: Le Sacre du printemps
4. (Encore) Sibelius: Valse Triste (in memory of Philippe Aïche)
武生国際音楽祭 1日目(9/11)と2日目(9/12)
毎年9月に越前市で開かれている「武生国際音楽祭」、今年はコロナ禍を踏まえて(他の夏の音楽祭同様)例年と異なる形態での開催を余儀なくされました。若手作曲家の新作を紹介する「新しい地平」シリーズなどの企画コンサート、そして作曲ワークショップやマスタークラスが無くなり、アウトリーチも控えめ。コンサート参加アーティストもソリスト6名と、ことしは例年と比較して小規模なフェスティバルとなりました。それでも開催したことに音楽祭関係者たちの熱意を感じ、今年も越前市文化センターに足を運ぶことにしました。
感染対策は行き届いてましたね。観客はアルコールでの手の消毒とサーモグラフィによる検温ののち入場、チケットは客みずから半券をもぎって箱に入れる、というスタイルでした。トイレの入退場の際にはスタッフからアルコール消毒を促されます。あと足で踏むと消毒液が出る仕組みになってるデバイスがロビーに置いてありましたが、作りがDIYっぽいというか、ニ○リかコ○リかどこかのホームセンターから部品を調達して仕立てた感じがして、ついマジマジと眺めてしまいましいた。あと音楽監督の細川俊夫氏を含め、出演者全員が事前にPCR検査を受けた(そして結果はすべて陰性。これ肝心)ことを音楽監督自ら挨拶されたときに仰ってました。うーん欧州レベル。そしてホール内は間隔を詰めて座ることがないように多くのイスに布切れを被せていました。それでも何となくの雑感ですが、例年の音楽祭よりお客さんは入っているような気がしました。今年は地元の方々の関心がすごく高かったのでは、と推察。
コンサートの演奏について。1日目(9/11)と2日目(9/12)のプログラムは異なるものの、どちらも古典と20世紀作品がミックスされた武生ではお馴染みのプログラムビルディングでした。このプログラムの組み方ってシェーンベルクたちが約100年前に立ち上げた「私的演奏協会」っぽいなあ、、、そういえば今年はその演奏会のためにアレンジされた室内楽版のマーラー4番をベルリンフィルがネット中継してたなあ、、、あれは感動したなあ、、、などとぼんやり考えながらソリストたちの演奏に耳を傾けておりました。
ヴァイオリニストの山根一仁と毛利文香、チェリストの岡本侑也と水野優也、そしてピアニストの北村朋幹と、5人の演奏家たちがときにソロで、ときにはデュオで出演してましたが、1曲づつ奏者が入れ替わり立ち代わりして演奏するので、山根さんと毛利さんの(姿勢を含めた)弾き方の違い、岡本さんと水野さんの(楽器を含めた)音の違いなどをダイレクトに感じることが出来て、そこが面白かったですね。毛利さん、ベートーヴェンのソナタ「作品30の2」をあまりに情熱的に演奏されてて圧倒されたのですが、パンフレットを見るとミハエラ・マルティンに師事されているとか。なるほど、と納得してしまいました。岡本さんと北村さんのベートーヴェン「作品102の1」は、作曲家後期の内省的な作風を見事に捉えていて、とても満足。山根さんは1日目のバッハBWV1004と2日目のベリオ「セクエンツァⅧ」、どちらもクールな中に熱いものを感じさせるパフォーマンスで見事でした。そして水野さんとのラヴェルのデュオ。あの曲はいつ聴いても「何コレ!?」と唖然とする異形の名曲なのですが、昨日の演奏もまさにソレでした。スパークするような音や、かするような音も交え、いろんな音がとっ絡まってできる音楽。2人の奏者は音楽的に絡んでいるのか、絡んでいないのか。居所を求めて音が彷徨ってるかのような、そんな様子を眺めているうちに曲が終わってしまった。そんな感じ。面白かった。
そして最後に。2日目にベートーヴェンを2曲演奏した伊藤恵さんが、休憩後にマイクを持って挨拶されたときの言葉。「武生に来れて本当に良かった!」という一言に感動いたしました。
(Program Note 1)
The 31st Takefu International Music Festival
Venue: Echizen City Cultural Centre
Date: September 11, 2020
Violin: Kazuhito Yamane*1 Fumika Mohri*2
Piano: Tomoki Kitamura*3
Cello: Yuya Mizuno*4 Yuya Okamoto*5
1. J.S. Bach: Cello Suite No.1 in G Major BWV1007 *4
2. Toshio Hosokawa: Melodia Ⅱ*3
3. J.S. Bach: Partita for Violin No.2 in D minor BWV1004 *1
4. J.S. Bach: Violin Sonata No.3 in C Major BWV1005 *2
5. Toshio Hosokawa: Etude Ⅳ/Ⅴ/Ⅵ *3
6. J.S. Bach: Cello Suite No.5 in c minor BWV1011 *5
(Program Note 2)
The 31st Takefu International Music Festival
Venue: Echizen City Cultural Centre
Date: September 12, 2020
Piano: Kei Itoh*1 Tomoki Kitamura*2
Violin: Kazuhito Yamane*3 Fumika Mohri*4
Cello: Yuya Okamoto*5 Yuya Mizuno*6
1. Beethoven: Für Elise WoO 59 *1
2. Beethoven: Piano Sonata No.14 in c-sharp minor Op.27-2 *1
3. Luciano Berio: Sequenza Ⅷ *3
4. Beethoven: Violin Sonata No.7 in c minor Op.30-2 *2 *4
5. Toshio Hosokawa: Small Chant *5
6. Beethoven: Cello Sonata No.4 in C Major Op.102-1 *2 *5
7. Webern: Four Pieces for violin and piano Op.7 *2 *4
8. Ravel: Sonata for Violin and Cello *3 *6
ワーナークラシックスの膨大な音源から、更に色々と聴いてみて選んでみた(その2)
「その1」からの続きであります……
- ⑥ 役者揃いも揃ったり。「トゥーランドット」歴史的録音
- ⑦ 渋いアスペレンの「平均律」
- ⑧ 華麗なるスコット・ロスのバッハ
- ⑨ これが録音に遺っていて本当に良かった。日本フィルの歴史的録音
- ⑩ チェコスロバキアの吹奏楽団によるスーザのマーチ
⑥ 役者揃いも揃ったり。「トゥーランドット」歴史的録音
ビルギット・ニルソン、レナータ・スコット(ソプラノ)フランコ・コレッリ、アンジェロ・メルクリアーリ(テノール)ボナルド・ジャイオッティ(バス)モリナーリ=プラデッリ指揮ローマ歌劇場管&合唱団 他 プッチーニ:歌劇「トゥーランドット」 【旧EMI】
(1965年 ローマ歌劇場にて収録)
劇中のアリア「誰も寝てはならぬ」がとりわけ有名な「トゥーランドット」です。求婚した者に謎をふっかけ解答できなければ即斬首、という非情をくりかえす姫の心を、異国からやってきた若者が愛の力で溶かしていく、というストーリーは作曲されたのが第1次世界大戦後の1920年代だということを考慮すれば、暴力と闘争に満ちた世界を愛で変えていこう、というロマンティックな願望の発露とも思えなくもありません。またプッチーニがこのオペラに付けた音楽は不協和音が頻出する刺激的なもので、当時のアヴァンギャルドな作曲家のスタイルを取り入れたものだ、とも言われることがあります。そんななかで「誰も寝てはならぬ」の甘美な旋律がふわ~っと出てくると、それがものすごく効果的にハマるのでしょう。
このオペラは圧倒的に力強い高音域を有する女声(トゥーランドット)、圧倒的に輝かしい声を持つテノール(カラフ)、そして圧倒的にエモーショナルな女声(リュー)を必要とします。劇に出てくる「3つの謎」ではないですが、その「3つの条件」を満たす名盤として知られるのがこのモリナーリ=プラデッリ盤。第2幕のアリア「この宮殿の中で」はニルソンの声にコレッリの声が乗っかって、そこからさらにニルソンが追い打ちをかける、というところがいつ聞いてもたまりません。またプッチーニ的感傷的自己犠牲たるリューを演じるレナータ・スコットも「氷のような姫君も」などの聴かせどころで、彼女の個性を存分に発揮しています。
⑦ 渋いアスペレンの「平均律」
ボブ・ファン・アスペレン(チェンバロ) バッハ:平均律クラヴィーア曲集 【旧EMI】
(1987年2月、同年4月 ハンブルクにて収録)
アスペレンのチェンバロはいくつかの録音で耳にしているのですが、この「平均律」はワーナー音源を探訪していく中で今回初めて聴きました。冒頭から、派手さはないもののバッハの記した音符を着実に音に刻んでいく作業の誠実さに惹かれていきました。各楽曲のキャラクターが淀みなく表現されていて、それが違和感なく胸にすっと入ってくる、その感覚が心地よいです。アスペレンのバッハは「イギリス組曲」もいいですね。レーベルは「鰤箱」との俗称で知られるブリリアント・クラシックスですが。
⑧ 華麗なるスコット・ロスのバッハ
スコット・ロス(チェンバロ) バッハ:パルティータ(全6曲) (「バッハ鍵盤作品録音集」から) 【ERATO】(→録音データなど詳細は公式サイトへ)
スコット・ロス(1951年生、1989年没)のチェンバロ演奏は、ひとことで言えば「華麗」。芳香を放ちながら音がエネルギーを伴って現れるような、そんな輝かしさを持っています。この「パルティータ」はロスの演奏の特徴が一番現れている録音だと思います。これを初発時に聴いた私は、「どうしてこんなに美しいんだろう」「こんな風にバッハを弾いてもいいんだあ」とすっかり魅了されてしまったことを憶えています。彼がHIV感染症で亡くなったことを知ったのはこれを聴く前だったか後だったか定かではありませんが、それを聞いたときはかなりショックだったのも憶えています。
⑨ これが録音に遺っていて本当に良かった。日本フィルの歴史的録音
潮田益子(ヴァイオリン)小澤征爾指揮日本フィル ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 (「エリザベート王妃国際音楽コンクールの受賞者たち」から) 【旧EMI】
潮田益子(1942年生、2013年没)さんは生前サイトウ・キネン・オーケストラの舞台には高頻度で登場されておられたので、そこでの活躍が個人的に強く印象に残っているのですが、エリザベート王妃国際(1963年、第5位)チャイコフスキーコンクール(1966年、第2位)などの輝かしい受賞歴を持つと共に、国内外でソリストとしても活躍されておられました。そんな時期に英EMIのスタッフが来日して杉並公会堂で行われた録音がこれです。潮田さんのヴァイオリンはピンとした張りがあって堂々とオケと渡り合っています。そして共演の日本フィルも実に素晴らしい。小澤さんの手腕もあるのでしょうが、いい響きしてますし輝いてます。この時期の同フィルの録音がEMIにあってホントによかった、と思います。
⑩ チェコスロバキアの吹奏楽団によるスーザのマーチ
ルドルフ・ウルバネク指揮チェコスロバキア・ブラス・オーケストラ スーザ:マーチ集 【Nonesuch】
共産党時代のチェコスロバキアの吹奏楽団によるスーザのマーチ、しかもレーベルがアメリカのノンサッチ、というなんかミステリアスな録音です。しかし演奏はいいですよ。各奏者の音の発音がしっかりしていて、それが積み重なってシンフォニックな仕上がりになってます。一音一音堅実な音作りで、ひところでいえば実にまじめなスーザ。でも楽しい!自然と笑顔になります。
ワーナークラシックスの膨大な音源から、更に色々と聴いてみて選んでみた(その1)
新型コロナの自粛ムードの中、先日のエントリ(前編、後編)を書き上げた勢いで、ワーナークラシックス扱いのアルバムをいろいろと探索し耳を傾けておりました。そんな中から、何か語ることができそうなものをここでダラダラと列挙していこうと思います。
- ① 歌もいいけど声もいい。「二刀流」シュトゥッツマンの真骨頂
- ② ムーティ的表現で聴かせるヴィヴァルディ「四季」
- ③ ああ、地に平和あれ。ヴォーン・ウィリアムズの合唱曲。
- ④ ハンガリアン・ラプソディ ♪マジャール~~うううう~~
- ⑤ まさに「ギター音楽の展望」たるアルバム。
① 歌もいいけど声もいい。「二刀流」シュトゥッツマンの真骨頂
ナタリー・シュトゥッツマン(コントラルト&指揮)オルフェオ55 「Heroes From The Shadows」 【ERATO】(→録音データは公式サイトで)
シュトゥッツマンは12年前に一度生で聴いています。当時すでに深みある豊かな声と特徴ある低音の魅力で世界的に知られた存在でしたが、そんな彼女が来日公演で初めて指揮をする、しかも歌いながら、ということで遠路はるばる新幹線から京浜東北線、そして常磐線を乗り継いで(そのころ上野東京ラインはなかった)水戸芸術館まで足を運んだのでした。そのコンサート、声はもちろん、それ以上に強いインパクトを与えたのは彼女の指揮姿でした!四肢体幹、すなわち全身を駆使した躍動感あふれる指揮は、テンポを指示するというコンダクターとしての仕事の範疇をはるかに越えたものでした。モダンダンスのダンサーも斯くや!と心の中でツッコミ入れるほどの華麗な舞いっぷりに戸惑いを隠しきれず、もとい幻惑されてしまいました。「あなたはこの指揮姿でこれからやっていくおつもりなのですか…」と当時は正直心配になりましたが、その後シュトゥッツマンは自身でオーケストラ「オルフェオ55」を立ち上げるとともに、世界各地のオケへの客演の仕事も増えてます。以前ウェブラジオでアイルランド国立響を振ったシューマンの交響曲、なかなか素晴らしかったです。
このヘンデルのオペラ・アリア集、シュトゥッツマンならではの声自体の魅力に加えて感情表現力の高さで最後まで聴かせますし、指揮者としてもパッショネートな音楽作りで心をわしづかみにします。バロック・オペラってこんなにパワフルなんだ!と思わせる、熱い仕上がりになってます。
② ムーティ的表現で聴かせるヴィヴァルディ「四季」
フランゼッティ(ヴァイオリン)ムーティ指揮スカラ座管他 ヴィヴァルディ;「四季」他 【旧EMI】
ミラノ・スカラ座の座付オケは、オペラ公演以外にも「スカラ・フィルハーモニー」を名乗りオーケストラ・コンサートを時々行っています。そこではヴェルディやプッチーニとは違う毛色の音楽、たとえばバルトーク「管弦楽のための協奏曲」のような曲をやったりするわけで、そんなときのスカラ・フィルの音楽がなかなか新鮮に感じるのであります。今年秋に来日予定でしたが、例によって新型コロナウイルス感染症の影響で中止となったのは残念なことでした。
ヴィヴァルディの「四季」といえば、イ・ムジチによる複数の録音を始め(一つ選ぶなら、やっぱりフェリックス・アーヨ独奏盤かな)たくさん出てます。最近はデフォルメを効かせた刺激的なアプローチで訴える演奏も多いですね(例えば佐藤俊介の録音)。まあるいものから尖ったものまで、どっちがいい悪いではなく、さまざまな解釈の演奏を楽しむことができる、という状況を愉しみたいものです。このスカラ座盤は、一聴して保守的ではありますが、ムーティ的な厳格さと、ストリングスによるカンタービレの美しさがお互い邪魔せずうまく混ざり合っていて、それが独特の美点となっています。「夏」第3楽章など、各声部の音の絡みが鮮やかでシンフォニックですらありますね。
③ ああ、地に平和あれ。ヴォーン・ウィリアムズの合唱曲。
イヴォンヌ・ケニー(ソプラノ)フィリップ・ラングリッジ(テノール)ブリン・ターフェル(バリトン)ヒコックス指揮ロンドン響&合唱団 ヴォーン・ウィリアムズ:ドナ・ノビス・パーチェム、聖なる市民 【旧EMI】
(1992年3月28-30日 アビー・ロード第1スタジオにて収録 CDC 7 54788 2)
レイフ(ラルフ)・ヴォーン・ウィリアムズ(1872年生、1958年没)は20世紀イギリスを代表する交響曲作家です。生前彼は英国民謡やキャロルを研究していて、その影響が歌謡性に富む旋律となって彼の音楽的個性を形成しているのですが、それでいてダークかつ不確実な雰囲気を感じさせる作品も多く、それらを作曲当時の混沌とした世界情勢の反映と見る向きもあります。「ドナ・ノビス・パーチェム」と「聖なる市民」はともに第二次世界大戦前に書かれた作品。前者は作品の各所でリフレインされる「Dona Nobis Pacem」(地に平和あれ)のフレーズが印象的、後者は聖書のヨハネ黙示録を題材ににしており、両作品とも第一次大戦に従軍した作曲家の個人的体験が創作の原動力になっていると言われています。
この演奏ではやはり、ブリン・ターフェルの際だった存在感について触れないわけにはいきません。とくに「聖なる市民」での、不穏な内容のテキストをワンフレーズ歌うだけで、そのただならぬ不吉さが伝わってくる表現力には驚かされます。しかしこの演奏での真の勝利者は、終始ダイナミックな音楽の流れを作り出した合唱団と、それを指揮するリチャード・ヒコックス(1948年生、2008年没)です。彼の突然の訃報を聞いたときは真に驚かされたものですが、息子アダムも父の後を追って指揮者になったようなので、これからが楽しみです。
④ ハンガリアン・ラプソディ ♪マジャール~~うううう~~
シフラ(ピアノ) リスト:ハンガリー狂詩曲集【旧EMI】(→録音データは公式サイトで)
私は若かりし頃、研究室で来る日も来る日も年がら年中PCR、という日々を送っていました。今や「PCR」なるアルファベット三文字を知らない人が居ない日が来るとは当時の私には知るよしもないのですが、、、そんなある日、教授から「ハンガリーから留学生が来たから面倒見てほしい」と言われました。そうやって紹介された彼はそのバイタリティを実験でなく美人秘書を口説くことで示したため、その当事者から間接的に愚痴を聞かされる羽目になるのですけど、、、それはともかく、そのハンガリアンがある日突然、「お前プスカシュを知ってるか?」と聞いてきました。プスカシュという人物について皆目わからなかった私が「誰?」と尋ねると、1950年代に「マジック・マジャール」なるハンガリー・サッカー黄金時代があったこと、その中でとりわけ輝いていた存在だったのがフェレンツ・プスカシュ(1927年生、2006年没)だったことを、熱く語り出したのですが、結局そのときは彼の語気の強さに圧倒されただけで終わりました。やがてその留学生は帰国していったのですが、しばらく経って足を運んだ西京極でキングカズを観てサッカーに夢中になっていった私は、急速にサッカーに関する知識を吸収していきました。その過程でプスカシュの偉大さも知ることとなります。ワールドカップの舞台での活躍で脚光を浴びたプスカシュは、ハンガリー動乱をきっかけに亡命し、キャリアの後半をレアル・マドリードで過ごすことになります。スペインのビッグクラブのレジェンドとなった彼の功績は、ベスト・ゴール賞を表彰する「プスカシュ賞」にその名を遺すこととなりました。
そんなプスカシュと同時期に活躍したハンガリーのピアニスト、ジョルジュ・シフラ(1921年生、1994年没)もプスカシュ同様、栄光と苦難がない交ぜになった演奏家人生を送りました。彼も20世紀中欧を襲った戦争と共産化の波に呑まれながらも、並外れたテクニックで自らの人生を切り開いていき、後半生は西欧に帰化して生涯を終えた、という点でプスカシュと似ています。
シフラといえば一般的に「テクニシャン」として知られているわけですが、ただの「テクニシャン」の一言では片づけられない音楽家としての魅力がシフラにはあると思います。録音で残されたトランスクリプションの数々に耳を傾けてみると、音楽の持つキャラクターを情感を込めて余すところなく伝える「語り口のうまさ」に舌を巻きます。このハンガリー舞曲集でもシフラの鍵盤の語りは変幻自在。一気呵成にまくしたてたかと思うと、優しい語り口で魅了したり…。まさに噺家か講談師の名人芸を連想させる、見事なストーリーテラーぶり。最後まで聞き漏らさず聴かなければ損しちゃう!と思わせてくれます。
⑤ まさに「ギター音楽の展望」たるアルバム。
トゥリビオ・サントス、オスカル・カセレス、コンラート・ラゴスニク、グラシエラ・ポンポニオ、ホルヘ・マルティネス・サラテ、バルバラ・ポラーシェク、レオ・ブローウェル、マリア・ルイサ・アニード、ベート・ダベサック、ベート・ダベサック(ギター) 「ギター音楽の展望」 【ERATO】(→収録曲など詳細は公式サイトへ)
ワーナーのアルバムをいろいろと探しているうちに見つけたこのアルバム、とてもいいですね。いいアルバム過ぎて、私はこのアルバムの存在を今まで知らずに過ごしていたことを後悔しました。エゴサーチしてみると「ギター音楽の展望」、オリジナルタイトルだと「Panorama de la Guitare」なる題名の連作アルバムは、ギター愛好家のあいだでも名盤として広く認知されていたものであったようです。
このアルバムは各ギタリストらによる魅力的な演奏の数々、ギターの音をリアルに捉えた録音クオリティの高さ、そして収録楽曲の素晴らしさと本当に「名曲・名演・名録音」の三拍子が揃った見事な出来映えです。クラシックのギター音楽に明るくない方でも、きっとお気に入りのトラックが見つかるはずです。それはヴィラ=ロボスでしょうか、バッハでしょうか、パーセルでしょうか、それともジョリヴェになるかもしれません。私は誠にまことにベタですが、「禁じられた遊び」ですけど、それ以外でしたらモレノ=トローバ作品のギター・デュオでしょうか。